近代の弓道を語るとき、阿波研造(あわ・けんぞう)は避けて通れない人物です。
剛弓を引き、競技で優れた成績を残した射手である一方、やがて的中だけにとどまらない射を求め、「大射道教」を組織しました。ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルを指導したことでも知られ、その関係は『日本の弓術』や『弓と禅』を通じて海外の弓道観にも影響を与えています。
ただし、ヘリゲルが描いた世界を、そのまま阿波研造本人の思想や日本弓道全体と同一視することはできません。この記事では、伝記資料と武道学研究を手がかりに、生涯、思想、後世への影響を順にたどります。
阿波研造とは
阿波研造は、1880年(明治13年)に現在の宮城県石巻市域で生まれ、1939年(昭和14年)に没した弓道家です。
若いころに旧仙台藩士の木村時隆から日置流雪荷派の弓術を学び、のちに東京で本多利實にも師事しました。仙台では道場を開き、旧制第二高等学校などで指導にあたります。
東北大学のデジタルアーカイブには、1931~1932年ごろの「二高弓道部師範阿波研造先生」とされる写真が残っています。後世の伝説だけではなく、学校弓道の指導者として活動していたことを示す史料です。
的中を求めた時代から、射の意味を問い直すまで
阿波研造は、初めから精神性だけを説いていたわけではありません。宮城県弓道連盟が紹介する伝記では、剛弓を引く弓術家として知られ、1917年の京都の武徳大会で特選第一位になったとされています。
高い技量と実績を得た一方で、射を的中や形だけで捉えることへの疑問を深めていきました。その転機を経て、弓を通した自己の修養、人間形成へと関心を広げていきます。
この歩みを知ると、阿波研造を「精神論を説いた人」とだけ説明するのが不十分だと分かります。技術と的中を徹底して追った経験があり、その先で射の意味を問い直した人物でした。
大射道教の成立
1927年(昭和2年)、阿波研造は「大射道教」を組織しました。目指したのは、単に矢を的へ中てる技術の普及ではなく、射を通じた人間形成です。
宮城県弓道連盟の資料では、全国の門弟は1万4千人とも伝えられています。人数は伝記上の記述として受け止める必要がありますが、阿波研造の教えが仙台の一道場にとどまらず、広い範囲へ伝わったことはうかがえます。
1930年には仙台市に大射道教の本部道場を建設しました。東北大学に残る写真資料には、この本部道場の矢庭で巻藁射礼を行う姿も記録されています。
阿波研造の思想をどう読むか
阿波研造の思想は、「一射絶命」「射裡見性」「弓禅一味」といった言葉で紹介されることがあります。そこには、一射を軽く扱わず、射を通して自己のあり方を問う姿勢が表れています。
しかし、これらの言葉を現代的な意味へ簡単に置き換えると、かえって理解を狭めます。例えば「無心になれば中る」「的を狙ってはいけない」という一文だけでは、阿波研造がたどった技術的・思想的な過程を説明できません。
また、阿波研造と禅の関係については資料の読み方が分かれます。伝記では禅僧のもとで修行し「弓禅一味」の境地に至ったと説明される一方、武道学の研究には、その関係や後世の語られ方を批判的に検討するものもあります。
大切なのは、どちらか一方を都合よく採用することではありません。伝記が伝える人物像と、後年の研究が示す論点の両方を読み、阿波研造の思想がどのように形成され、受け取られてきたのかを考える必要があります。
オイゲン・ヘリゲルとの関係
ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルは、東北帝国大学で教えていた時期に阿波研造へ入門しました。宮城県弓道連盟の資料では、指導を受けた期間を1926年から1929年としています。
帰国後、ヘリゲルは日本での経験を文章にまとめました。日本では『日本の弓術』『弓と禅』として読み継がれ、弓道と禅を結びつけた理解が海外へ広がる大きな契機となります。
一方、国際日本文化研究センターの山田奨治による研究は、通訳を介した理解、言語の壁、ヘリゲル自身が日本へ求めていた「禅的なもの」に注目し、『弓と禅』の物語が形成された過程を検討しています。
したがって、『弓と禅』は阿波研造を知る入口にはなりますが、本人の言葉をそのまま記録した伝記ではありません。ヘリゲルという受け手を通して再構成された作品として読むと、より立体的に理解できます。
大日本武徳会と近代弓道の時代
阿波研造が活動した明治から昭和初期は、各地の弓術が「弓道」として再編されていく時代でもありました。
大日本武徳会は1895年(明治28年)に創設され、武道の奨励、指導、大会、称号制度などを担いました。1919年ごろには、武徳会や大日本弓道会で「弓術」から「弓道」への名称移行が進みます。ただし、研究では両団体が「術」と「道」の関係を同じように捉えていたわけではないことも指摘されています。
阿波研造の歩みは、個人の思想史であると同時に、近代日本で弓術の目的や名称が問い直された時代の一例でもあります。
阿波研造が後世へ残したもの
阿波研造の影響は、三つの方向から捉えられます。
- 指導者としての影響:仙台を拠点に学校や道場で多くの門弟を指導した
- 思想面の影響:的中だけに収まらない射と、人間形成の関係を問い続けた
- 国際的な影響:ヘリゲルの著作を介し、弓道と日本文化への関心を海外へ広げた
同時に、その人物像は弟子の回想、伝記、ヘリゲルの著作、後年の研究によって異なる角度から描かれています。阿波研造を理解するとは、一つの名言で結論を出すことではなく、複数の資料を読み比べることでもあります。
近代以前から続く流派と、現代弓道の関係を知りたい方は、弓道の流派とは?日置流・小笠原流・本多流と現代弓道の関係もあわせてご覧ください。
まとめ|阿波研造を一つの言葉に閉じ込めない
阿波研造は、優れた的中実績を持つ射手から、射による人間形成を追求する指導者へ歩みを進めた近代弓道家です。大射道教を組織し、多くの門弟へ教えを伝え、ヘリゲルとの出会いを通して海外の弓道観にも大きな影響を残しました。
その一方で、『弓と禅』の記述と本人の思想、日本弓道全体を一つに重ねない注意も必要です。伝記と研究を往復しながら読むことで、阿波研造という人物と、近代弓道が抱えていた問いが見えやすくなります。
さらに学びたい人向けの読書案内
ここから先は、何を知りたいかによって選ぶ本が変わります。阿波研造本人の生涯、ヘリゲルが見た射、両者の関係を検討した研究書の順に並べました。
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